仏像の由来と種類
仏像とは?
仏像は日本のいたるところのお寺に数多くありますが、皆さんも京都や奈良に旅行に行った際にはいろんなお寺で目にして親しまれているのではないでしょうか。
仏像は、仏教の信仰の対象としての仏を表現した像です
仏像における、「仏」の意味は。「真理に目覚めたもの」「悟りを開いたもの」の意味です。
その最初は、仏教の開祖「釈迦」(ゴータマ・シッダルタ)の姿を現したものが仏像でした。
その後、仏教の発達とともに。弥勒仏、阿弥陀如来などをはじめ様々な仏像が造られました。
仏像の作りの歴史
仏教の信仰の対象である「釈迦」の生前は釈迦は自分自身を信仰の対象であるとは考えていませんでした。
したがってその当時は仏教においては仏像というものは存在しませんでした。
しかし、釈迦が入滅し時代を経ると、仏の教えを伝えるために信仰の象徴としての仏像が生まれはじめたのです。
当初は、仏陀となった偉大な釈迦の姿は、もはや人の手で表現できないと思われていました、あるいは仏陀の姿を像にするのは畏敬の念から「タブー」とされていたのかもしれません。
当初は、釈迦の象徴として仏像ではなくいろいろな造作物で表現していました。
それは次のようなものです。
・ストゥーパ(卒塔婆、釈迦の遺骨を祀ったもの)
・法輪(仏の教えが広まる様子を輪で表現したもの)
・仏足石(釈迦の足跡を刻んだ石)、菩提樹などを礼拝していた。
(インドの初期仏教美術には仏伝図(釈迦の生涯を表した浮き彫りなど)は多数あるが、釈迦の姿は表されず、足跡、菩提樹、台座などによってその存在が暗示されるのみであった。)
仏像作りのはじまり
釈迦の入滅後、実際に仏像が作られるようになったのは、起源後1世紀後半から2世紀ごろのようです。
最初に仏像づくりが始まったのは、インドのガンダーラ地方だとされています。
紀元前のガンダーラ地方は、ギリシャ人が支配していた時期もあり、ギリシャ彫刻の影響も受けていると言われています。
最初の仏像は、釈迦の伝記に記された釈迦の姿を元にしていました。
釈迦の像= 仏像だったわけです。
その後、大乗仏教が勃興してから、複数の如来がいるという考えからさまざまな仏像が作られるようになりました。
では、釈迦誕生から仏像の始まり頃の年表を見てみましょう。
紀元前 BC463 | 釈迦牟尼仏誕生 |
BC 383 | 釈迦牟尼仏入滅 |
BC327 | アレキサンダー大王インド侵入 ギリシャ、ローマ、ペルシャの思想文化が伝わる |
BC268-232頃 | アショーカ王在位期間 インドをほぼ統一して仏教に帰依 仏教が、インド全土、ガンダーラ、スリランカに伝わる |
BC 100-100頃 | 大乗仏教興起 |
50-200頃 | 初期大乗経典成立 仏像作られ始める |
釈迦の姿を現した仏像ですが、釈迦の入滅後、だいぶ経ってから作られはじめたようですね。
仏像の種類がたくさんあるわけ
仏像にはさまざまな種類があります。それは,わたしたち人間にはさまざまな種類の人がいたり,さまざまな願いがあるからなのです。人々の状況や願いに応じて役割を分担している,と考えればわかりやすいでしょう。
如来,菩薩,明王,天(神)など,たくさんのほとけがいますが,上下関係はないようです。
各仏像の説明を読み進めていくと,如来がいちばん偉く,以後菩薩,明王,天というように順位があるようにも見えます。
それぞれの仏像に上下関係があるように感じます。
たしかに役割が分かれていたり,上下関係があるような面もありますが,実際にはそうではありません。
不動明王が大日如来の化身であったり,死者を裁く閻魔大王(えんまだいおう)が地蔵菩薩の化身であるなど,仏教には「化身」という考え方があります。多くのさまざまな人々を救うために如来が自身の身体を変化させた姿が化身なのです。ですから不動明王が大日如来の智慧の一部分を強調させた姿であるように,上下関係はないのです。
姿・形の違う多くの仏像がいますが,その存在意義はただの一つです。
それぞれの仏像がそれぞれの役割を担い,すべての人間を救うことを目標としている仏教の教えを表現しているものと思われます。