カンボジアの仏教

カンボジアの仏教と歴史

タイの南に位置し、ベトナムの西側にあるカンボジアもタイと同様仏教国です。

 

カンボジアは1970年時点では、国民の96%が仏教徒であるという調査結果がありました。

そして寺院は6700ほどあったようです。

しかしカンボジアの悲劇の歴史は多くの寺院遺跡が破壊された歴史でもありました。

1970年以降の4年間の内戦で1000ほどの寺院が破壊され、さらに1975年から4年間つづいたポルポト政権のもとでは、容赦ない宗教弾圧により仏教も禁止されました。

僧侶は強制労働者となり、寺院は虐殺場や倉庫として使われ、この独裁政権のもとに仏教はカンボジアから消えてしまったのです。

 

日本の歴史のを考えてみてもこんなことは考えられないことですよね。

そのポルポト政権が1979年に崩壊した後、ようやく人々は仏教の復興をはじめます。破壊されたお寺を修復し、僧侶を迎え入れ、祈りの復活とともに心に安らぎをもたらす仏教信仰が戻ってきたのです。

しかしながら、仏教サンガの本格的な復興の開始は1989年まで待たねばなりませんでした。ポルポト政権下で多くの成年男子が虐殺され、または強制労働から死亡したために、国家の再建に成年男子を必要とした政府は50歳以下の男子の出家を制限していたからです。

今ではカンボジアの仏教は完全に戻っていますが、多くのカンボジア民族はいまだに心にポルポト政権の悲惨な記憶が傷跡として残っているようです。
私が、カンボジア旅行に行った際も、現地の人の話をきき、そのことを実感したのでした。

カンボジアの仏教

カンボジアでは、憲法で国教が仏教(上座部仏教)と定められております。

上座部仏教であるのはタイと同様です。

上座部仏教の信仰は厳しく、出家して厳しい修行を積み、悟りを開いた者だけが救われるという考え方の元に信仰されています。

カンボジアは遡れば、もともとクメール王朝時代にはヒンドゥー教が国教とされていましたが、歴代の王が信仰する宗教によって国教は何度も変更され、13世紀中ごろに上座部仏教へと落ち着きました。この名残もあり、現在もカンボジアの寺院では仏教とヒンドゥー教が混ざったような歴史的建造物が多く見られます。カンボジア国王はカンボジア仏教の頂点とみなされています。

クメール王朝:WIKIPEDIAより

(クメールおうちょう、アンコール王朝とも)は、9世紀から15世紀まで東南アジアに存在していた王国で、現在のカンボジアのもととなった国であり、これより以前にあったチェンラ王国(真臘)の流れを受け継ぐクメール人の王国である。

クメール王朝時代の遺跡はたくさんありますが、その代表の世界遺産がアンコールワットです。

仏教の復興

ポルポト政権時代後は、寺院の改修や増築が進み、仏教も復活しました。現在カンボジア全土にある仏教寺院数は3,700以上、僧侶の数は約63,000人にのぼります。

カンボジア人に善行とみなされていることとして男性は出家すること(一生に一度は数日~1年程度の短期間で出家を行う人が多い)、女性は、寺院への奉仕等をすることです。

女性は出家が認められていません。

善行を積み重ねることが来世で幸せに生まれ変わることに繋がると信じる人が多くいます。寺院への寄進や貧しい人に対し物やお金を恵むことも日常的に行われます。

僧侶による托鉢は日常的に行われています。毎朝、門前を訪れた僧侶に寄進をし、手を合わせる人々の姿を至るところで目にすることができます。

「プチュン・バン」と呼ばれる日本と同様祖先の霊を祀る期間は、カンボジア人が非常に重んじている仏教行事です。祖先の霊を供養するためには7つ以上の寺院を訪れるのがよいとされており、多くのカンボジア人は故郷に帰り、家族皆で複数の寺院を回り、供物となるたくさんの料理をお金とともに僧侶に捧げます。

同様に、クメール正月の際にも寺院への参拝と寄進が盛んに行われています。